(駅巡り)津軽の「最果て」を目指して PART2
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前回の続きです…
最近私生活の多忙により、あまり記事更新ができていません。何本か書きかけの記事はあるのでお茶でも飲んで一眠りして気長にお待ちください。歴史解説よりも旅行記の方が描きやすいのでしばらく旅行記が中心になるかも。
さて、今回は前回に引き続き津軽線の駅巡りの様子をお送りします。
6.中沢駅
そういえば10年くらい前に徳島県の秘境駅である坪尻駅の駅スタンプが紛失したとき、なぜかこの駅の待合室でそのスタンプが見つかったんですよね。いや、そうはならんやろ…って思いました。
地理院地図見ていてふと思ったんですけど、この駅って青森市と蓬田村の境界線上にあるらしいですね。駅名である「中沢」は蓬田村の地名で、駅の所在地である「四戸橋」は青森市の地名だそうです。
7.蓬田駅
名前の通り蓬田村の中心駅です。昔は貨物の取り扱いもある有人駅でしたが、今ではこじんまりとした駅舎だけがある小さな無人駅です。国鉄時代に有人駅が多かったのは貨物の取り扱いのためだったんでしょうね。今ではほとんどトラック輸送に切り替わってますが60年代70年代くらいまでは貨物輸送が今では考えられないほど盛んでした。
↓これを見ると60年代の貨物輸送やトラック輸送の様子がよくわかります。短い映像なので気になった方は見てみてください。
向かいのホームは長い間使われていないっぽいです。
津軽半島の陸奥湾側はずーっと海沿いに集落が続いていて、山の方に田んぼや畑が広がっています。青森は田んぼよりもりんご農園とか畑のイメージでしたが、場所によっては田んぼもあるんですね。
8.郷沢駅
すぐ近くに蓬田中学校があります。休日なので閑散としていましたが、生徒数はどのくらいなんでしょうか。村で唯一の中学校なのでなくなることはないとは思いますが…
あまり統合をしてしまうと、どうしても学区が広くなってしまって通学が大変になりそうです。
2017年に廃校になった盛岡市立城内小学校。同じ岩手県の紫波町では、去年と今年で町内7校が廃校になります。
9.瀬辺地駅
小さな、可愛らしい駅舎です。この駅も80年代までは業務委託で駅員がいて、切符を売っていたそうです。瀬辺地っていう駅名もなんとなく、不思議な響きです。
電燈がかわいい。県内には野辺地町(のへじ)があり、同じような由来かと思ったらやっぱりそうでした。野辺地はアイヌ語の「ヌップペッ」(野を流れる川)に由来し、瀬辺地は「セプ・ペッ」(広い川)や「セッ・ぺ」(巣・川)に由来するらしいです。この近くに大きい川あったかな…
10.蟹田駅
津軽線沿線で最大の駅です。蟹田は太宰治の「津軽」にも出てきます。「津軽」は名作なのでぜひ読んでみてください。外ヶ浜町の中心で、町も今までみてきた中では一番栄えています。
外ヶ浜町は今別町を挟んで旧蟹田町・平舘町と旧三廏村に分かれています。これから行く龍飛崎は旧三廏村域の外ヶ浜町です。
北緯41度線がこの辺りを通っているらしいです。ニューヨークやローマとは±1度くらいの誤差なんですね。八幡平とわずか1度しか違わないとは…
「その前日には西風が強く吹いて、N君の家の戸障子をゆすぶり、「蟹田つてのは、風の町だね。」と私は、れいの独り合点の卓説を吐いたりなどしてゐたものだが、けふの蟹田町は、前夜の私の暴論を忍び笑ふかのやうな、おだやかな上天気である。」
今回は行っていませんが、この近くに太宰も行った観瀾山があります。
カニスマ駅長だそうです。元々は本物のトゲクリガニの「津軽蟹夫」駅長がいたそうですが、亡くなって以降はこの塩ビの駅長がずっといるようです。どっかから2代目駅長拾ってこれないんですかね…
次回に続きます!
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